時をかける少女の感想その2

昨日見た時をかける少女を、一日おいて振り返ってみました。

映画館

とても混んでました。開演が21時からというので20時にビルの前に集合したんですが、もうその時点で30人ほどの待ち行列。開場の20時20分には結構な列が出来てまして、20時半には既に立ち見確定という状況でした。テアトル池袋自体、それほど広いというわけではありませんが、それでもこの客というのはすごいですね。
客層ですが、若いのから中年くらいまで雑多な感じでした。男女比は5対5くらい。特にどちらが多いというわけでもありません。女性の一人客も結構多かったです。
あと、結構若い人たちが多かったので驚きました。ちょうど真琴のような格好をした女子高生が一人来ていましたし、女性三人組がポップコーンを買い込んで、でも開演前に食べ終わっちゃって、とか微笑ましい状況を見れたりしました。

タイムリープ

劇中で真琴はこの能力をつかって「バラ色の人生」を送ろうとする。でもこれって「逃げてる」んだよね。自分の判断から。判断がもたらす責任から。それを徐々に体感し、成長していく主人公の真琴。最後のタイムリープで、今まで後ろ向きに落ちていくだけだった真琴はついに、落ちていく方を向き、正面から向かい合う形でタイムリープを行う。作品のテーマの一つにこれがあったとは思うんですが、それを安易に登場人物の口から語らせるのではなく、見せて(そして魅せて)くれるのが、よい映画だと思いますし、これはまさにそういう映画だったと思います。
見た直後に感じた疑問点は昨日書いたとおり。一日経って、他にも疑問点がいくつか浮かびますが、この作品はこういうタイムリープがメインなんじゃなくて、青春ストーリーがメインなんだから、あまりSFチックな設定部分でつっこむのは野暮というものなのかな、と今更ながら思ってみました。ただ一つあげるなら、この作品のタイムリープは「自分の意識だけが時を飛び越える」っていう設定のようですから、他の人間が絡んでくるとおかしなことになるんじゃないかなぁ、ってところですか。

原作

後日、オリジナルの「時をかける少女」のあらすじを読んで、色々納得。いや、本も読んだし映画も見たはずなんで、思い出した、ってところですか。オリジナルの主人公は最後、「待つ」ことを選択し、アニメ版の今でも「待っている」。けれどそのオリジナルの主人公である魔女叔母さんは、アニメ版の主人公たる真琴に対して、「あなたは待っているような子じゃないでしょ?」と言う。そして真琴は最後に「会いに行く」ことを宣言する。いやぁ、いいですねぇ。オリジナルに対する最大のリスペクトじゃないですかね、これは。